誰もが一度や二度は、
ふと、何気なく、それについて思いを巡らせた事があるのではないでしょうか。
「幸せ」とは何か?
これまでに歩んできた道程、
現在の環境、
そして、将来への捉え方、考え方。
これらにより、人それぞれ、幸せに対する考え方は自ずと変わってくるものでしょう。
現実世界を快適に過ごしていく為には、
まずは衣・食・住、が最低限必要な訳で、当然それらを満たすには、お金が必須です。
ちょっと話はズレますが、、
大人になる為の必須条件とは、、
社会的自立、つまり経済的基盤を築く事に他ありません。
より良い生活を過ごす為に欠かせないのは勿論の事、
お金がない、又は不足していると、、
気持ち、心に余裕がなくなり、すさんでしまう事もあるでしょう。。
となると、余分なストレスや、いさかい、もっと言えば争いごとも増え、
感受性、心の感度も低下します。
あくまで個人的見解として、
具体的に、幸せに必要なものとは、、
少し余裕がある位の経済力(お金)、
そして、【感性】を磨いていく事、
この二つが必要だと思っています。
そしてそれにより、
その日その日を、【普通】に過ごしていける事。
感性と普通。
抽象的な言葉。。
まあ、普通というのは、「普通」です笑
例えば、、
家族がいたら、一緒にご飯を食べたり、テレビを見たり、笑ったり、、
それらが、何らかの事情で不可能になった場合、
その時はきっと、周りのみんなみたいに、「普通」にご飯を食べたり、遊んだり、笑ったりしたいな、と思うはず。
さて、一方で感性とは。。
人生楽ありゃ苦もあるさってな訳で、
本当に色々な経験をしていく事となります。
予期せぬタイミングで、
予期せぬ事が、起きる。。
良い事も、悪い事も。
どんなに先の事を綿密に計算したところで、
それ通りにいく事は、ない。
その時その時で、
起こる事、起きた事に対して、
受け入れ、そして受け止め、
自分なりに乗り越えていく。
そして経験値が少しずつ、増えていく(高くなっていく、と言った方が適切でしょうか?)。
これまでの経験の積み重ねとは、イコール、
「思い」の積み重ねでもあります。
色々な経験の裏には、
当時の様々な思い、気持ち、感じた事が詰まっている訳です。
それら一つ一つの思いの積み重ねにより、
普段の日常や、人生を歩んでいく際に必要な「感性」が、育まれていくものだと思います。
例えば、、
貧しさ故にボクシングを始め、
お金を稼ぎたいと世界チャンピオンになって、思っていた通りの大金を手にし、生活が一気に潤ったとします。
でももし、お金持ちになったが為に、
人の痛みや、弱い立場の人達に寄り添う心を忘れてしまったら、、
それまでの経験、思いは決して活かされた、とは言えませんし、幸せな状態とは程遠いものとなるでしょう。
それまでの経験、思いの積み重ねを、
その場限りのもので終わらせてしまうのではなく、、
点と点を、線に繋げていく。。
お金だけでなく、様々な欲望には際限がありません。
だからこそ、
足るを知る、という心が必要になってきます。
自分にとっての、足るを知る、というポイントは、当然自分でしか判断する事はできません。
そんな時に必要になってくるものが、
先程述べた、【感性】ではないかと思います。
常にそれを意識する事は、難しい。
でも、ふと日常や、人生において、不安や寂しさ、物足りなさを感じた時に、
立ち返る原点がある、というのはとても大事な事だと思います。
何事も一朝一夕にはいきません。
“積み重ね”の結果、
それぞれの幸せに対する物差しを得ていくのだと思います。
答えはもちろん、人それぞれで良いし、
逆に人それぞれで、あるべき。
これからの歩み方や、新たな経験によって、
またさらに価値観も変わりゆくものでしょうし。
先の事はどうなるか知る由もありませんが、
何はともあれ、
一日一日を、なるべく普通に過ごしていけるよう、
自分なりに努力していこうと思います。
今ある普通が、
実は普通ではないのだという事に感謝しつつ、
今日、明日と、
どうせ同じ時間を過ごすなら、
できるだけプラスな気持ちを持って、
楽しんでいきたいと思います。
時折、こういう事に思いを巡らせると、
忘れていた初心に帰れたり、
改て感謝の気持ちを持つ事の大切さを思い出させてくれたりします。
その考えるきっかけを与えてくれた事にも感謝です。
明日も、
普通に、
自分なりに頑張ろうと思います。